アクセサリーや資産として人気の金。かつて日本には数多くの金山があり、ゴールドラッシュと呼ばれるほど大量の金を産出していました。代表的な金山の1つが、江戸時代に開山された佐渡金山です。佐渡金山の概要や歴史、現在の姿についてご紹介します。

                          

佐渡金山とはどのような場所?

佐渡金山は、新潟県佐渡市に位置する金山であり、現在は史跡として一般公開されています。元々は1600年代に山師によって開山されたと言われており、それ以来幕府の財源として重点的に開発されてきました。江戸時代の最盛期には、年間400kgという大量の金が採掘され、世界最大級の金山として栄えたといわれています。金山には多くの労働者が集い、彼らの給与も潤っていたため、周辺の街は栄えて周囲一帯が大いに発展していきました。金の鉱脈は東西に3キロメートル、南北に600メートル、さらに深さは800メートルにまで及んでいました。金採掘のために開かれた坑道は、複雑な軌道を描き、総計400キロメートルほどに至ります。これは佐渡から東京までの距離とほぼ同じです。金山として機能していたのは江戸時代から平成元年までの400年近くですが、その間佐渡金山は文化的にも重要な存在として、常に知識人や芸術家からの視線を集めた場所でもあり、歌川広重を始めとして多くの絵画や絵巻物が残されました。

佐渡金山の長い歴史

佐渡金山では1600年代初頭に金脈が発見されてすぐに幕府の直轄領となり、佐渡奉行所が置かれました。さらに現地では小判の製造も行われるなど、財源確保に欠かせない場所として位置づけられていきます。当時は手堀りで坑道を開削し、坑道内の水の汲み上げや風送り、鉱石の運び出しなど様々な仕事が、大人数によって分担されながら行われていました。危険も伴う大変な仕事でした。明治時代には官営の鉱山となり、西洋からの技術を取り入れながら近代化が進められ、機械が導入されていきます。明治の半ばには宮内庁管轄の皇室財産に指定され、全国で模範になる鉱山として位置づけられていきます。その後、三菱合資会社(当時)に委譲され、さらなる産業化と拡大発展が図られました。しかし、採掘できる金資源は徐々に減っていき、平成元年には採算が取れないということで操業停止となりました。


現在は観光地としても人気

平成元年に操業停止した後、現在は観光地として一般公開されています。佐渡金山は文化財としての価値も高く、昭和後期に相川鉱山という部分の関係遺跡が国の史跡に指定され、それ以降も敷地内の坑道跡、採掘や鍛錬に使用された施設などが国の重要文化財や近代産業遺産、史跡として指定されていきました。現在は坑道に観光コースが設けられており、開削のプロセスや当時の労働者の生活、風習などを知ることができます。見学方法は30?40分程度の自由見学から、30?100分程度のガイド付きツアーまで多様であり、100分コースの場合は周辺の街まで見て回ることができます。日本のゴールドラッシュを支えた佐渡金山は、現在でもその栄華や独自の文化、技術を伝える場として生き続けているのです。このように金山の歴史を知ることで、より金への愛着が湧くのではないでしょうか。