着物の歴史はとても深いです。 着物を衣服とカテゴライズした場合、始まりは縄文時代からです。現代、私達が認識している着物は平安時代からできたものとされています。

本記事では、着物の歴史についてご紹介していきます。ぜひ、参考にしてみてください。

着物の歴史の年表

縄文時代の衣服

縄文時代の衣服は、狩猟などで入手した獣の皮や羽毛、植物の皮など生活の中で手に入る素材を利用して作られていました。

この時代では衣類は「おしゃれ」という認識がなく、狩猟の際の防具、天候に対応するための道具として用いられていたようです。

ワンピースのような形状で身にまとうだけの簡単なものでした。

やがて農作業などをするようになると、麻などの繊維を織って作った衣類が着られるようになったそうです。

弥生時代の衣服

弥生時代と言えば、卑弥呼が率いる邪馬台国が日本を台頭していたときです。

この時代では、男性と女性で服装の形式が変わっていたことが特徴です。

女性は貫頭衣(かんとうい)と呼ばれる、布に穴を開けて頭を通すワンピース型の装いでした。現代で例えるとペルーのポンチョのようです。

一方で、男性は袈裟衣(けさい)・巻布衣(かんぷい)と呼ばれる衣類を身にまとっていました。

一枚の布を後ろから前へ肩の上から通し、もう一枚を体の周囲に巻きつけるような着こなしをします。インドのサリーのような衣類ですね。

温帯に属する日本に対応するために、袖を作り温度調整にも適している形になったと言われています。

このときには、苧麻(からむし)、麻(あさ)などの植物繊維から糸を紡ぐ技術であったり、糸から布を作る技術が発達していました。

藍(あい)や紫草(むらさきぐさ)の汁で布を染める技術もあったことがわかっています。

古墳時代の衣服

古墳時代とはその名の通り、豪族や天皇たちが墓となる古墳を続々と造っていた時代です。大陸との交流も盛んになり、異国文化を取り入れ始めた時期でもあります。

男性は筒袖と呼ばれる腕を通すことができる上衣に、膝辺りで紐を縛った足結(あゆい)という衣褌(きぬばかま)をきていました。ズボンのような見た目をしています。

女性も同様に筒袖がある上衣に、スカートのような着物を合わせていました。大陸から伝わった影響なのか、韓国のチマチョゴリのような形をしています。養蚕も活発に行われていました。

ちなみに、この時代での前合わせは今とは逆の「左前」だったようです。男女関係ないことも埴輪(はにわ)の存在から知られています。

 

飛鳥・奈良時代の衣服

飛鳥・奈良時代は、遣唐使により、大陸の文化をしきりに取り入れていた時代です。

この時代に中国を支配していた民族が「漢服」と呼ばれる着物を着ていたことが発端となり、日本でも「漢服」を着る人が多くなりました。

漢服とは、袖口が大きく開いた、ゆったりとした服装です。男性は冠をかぶり、丈は足の下まで長い、といった特徴があります。

衣服に関しては、変化があったのは上流階級の人のみだったようです。

聖徳太子が冠位十二階を制定し、身分によって冠と衣服の色が決められました。これは有名な話ですね。この後、奈良時代では位により服装を3つに分ける三公服(礼服、朝服、制服)が制定されました。

723年には、元正天皇が「衣服令(えぶくりょう)」を発布して、この中の一つである右衽(うじん)着装法により、現在の着物の土台となる「右前」が誕生しました。

一般庶民はアジア遊牧民の衣服である「胡服」を着ていました。胡服とは、袖がある体にフィットした衣類です。

平安時代の着物

遣唐使は廃止され、日本独自の文化が栄えていったのが平安時代です。

奈良時代の衣類文化が色濃く残っていたものの次第に変化が起こります。袖口が広いものが一般的となり、十二単や束帯が着用されるようになります。

十二単は、下着である小袖の上に、大袖を何枚も重ね着する着方です。大袖は支配階級の権力を表すものでした。とはいえ、元々は気候の変動が激しい日本の四季に対応できるようにするために生まれたようです。

布を直線的に裁つ、直線裁ちと呼ばれる方法で衣類が作られていました。直線裁ちの着物はカンタンに畳むことができるメリットがあります。冬には厚着、夏は麻の布で涼しく生活が送られるように工夫されています。

華やかな装いと気候の変化に対応するための着こなしは現代にも通ずるものがありますね。

鎌倉・室町時代の着物

鎌倉・室町時代では武家の勢力が増していきました。

武家というのは公家に仕える階級で、元々は農民として生活していた人たちが武力で公家に奉仕することから身分を高めていきました。

この時代では女性に限らず、男性も華やかな色の着物を着用するようになりました。武家が戦地に来ていく着物はそれぞれの大将の個性を主張した色であったと言われています。

武家は公の場では大袖を、普段は小袖を着用していました。しかし、小袖は庶民と同じ麻ではなく、絹を使用していたのだとか。

室町時代の末期には町人と呼ばれる身分が誕生しました。町人も絹の小袖を着用していたのだそう。

この頃には一般的に袂(たもと)がある衣類が着られるようになったそうです。

江戸時代の着物

着物_歴史_江戸時代 江戸時代では男性と女性とで服装の自由度が異なりました。

男性は公の場で生活しているものとされたため、身分の象徴である着物を自由に選択することはできませんでした。

裃(かみしも)と呼ばれる、藩ごとの制服を身につけていました。裃(かみしも)は肩が張り出ている上着と袴(はかま)のことをいいます。麻の生地を糊で固めて作られていました。

藩の制服を始め、着物の全体的な技術が発達し美術品としても価値を生み出すようになったようです。衣服は家の財産として受け継がれるようになったのもこの時代の特徴です。

一方で、女性の衣類についてです。

女性は裏の世界で生活しているもの、とされていたため公の場に出る機会は少なかったようです。

そのため比較的に自由に衣類を楽しむことができたのだとか。社会秩序を乱さないよう、身分と階級によってそれぞれの美意識で小袖を着こなしていたようです。

町人文化が栄えた江戸時代では、衣類に関する小物が多く登場しました。

帯は広くなり、自分一人で結ぶことは困難となりました。着付け師が生まれたのもこのときです。

着物の丈は長くなり、「おはしょり」という着付けの方法も考案されました。

この時代で特に発達したのが染織技法です。友禅染や茶屋染など多くの技術が誕生し、着物のデザインはより華やかになりました。

明治時代の着物

産業の発達が著しく、絹工場が発達していたことから、絹の生産が一気に増えていった時代です。

実際に絹の輸出量も多かったため、日本が絹の生産国として認知されていたのは言うまでもありません。

絹の生産量が高まったため、それほど高価なものではなくなり、衣類にも積極的に使われるようになりました。染色技術も発達し、2次加工も盛んに行われていきました。

明治維新により、皇室や政府などの正装は洋服とされ、次第に公人にも広まっていきました。女性よりも男性の洋服の方が早く導入されたようです。

一般人は、公人が身に付ける洋服に対して憧れを持つようになりました。  

大正時代の着物

大正デモクラシーは衣服のあり方にも大きな影響を与えています。

女性の社会進出の動きで洋服にも改革が求められました。明治時代から洋服に対する感心は高まっていますが、女性用の洋服は導入が遅かったようです。

また、関東大震災では、和服を着ていた女性の被害が大きかった頃から、和服より動きやすい洋服の需要は高まりました。

明治維新からの異文化交流が進んでいたこともあり、和服の模様には海外のものが取り入れられるなど、海外の文化が日本の文化に影響を与えました。

 

昭和時代の着物

昭和に入るとやがて戦争が始まります。戦時中は「もんぺ」と呼ばれる袴の形を模した作業着が一般的な衣服となります。

終戦を迎えると、洋服は日常生活から切って切り離せないものとなっています。一般的に洋服の着用が広まりました。

普段着として着物は着用しなくなり、「晴着」としてお祝い事などに着る衣装として存在しています。着物の色彩は淡い感じに移行して、洋服とは違う、着物の良さも目立つようになりました。

 

まとめ

この記事では縄文時代から現在に至るまでの着物の歴史についてまとめてきました。

今現在では洋服を着ることが一般的ですが、これまでにはいろいろな衣服のカタチが存在していましたね。

この記事を読んで、着物の歴史に触れることができれば幸いです!