日本の銀貨と聞くと、なかなかイメージが湧かないかもしれません。しかし、その歴史は金貨以上に古く金貨以上の価値を持つものもあるほどです。その歴史について紐解いてみます。

日本の銀が世界を席巻した時代があった!?

日本における銀貨の歴史は意外に古く、古銭として有名な和同開珎に銀製の貨幣があったことが知られています。このような通貨は一般には流通しておらず、現在もし見つかった場合、その価値は計り知れません。流通という観点から銀の重要性が高まったのは、16世紀に石見銀山が発見されてからのことです。これにより、銀貨の歴史は大きな変節を迎えました。大航海時代によって銀を基軸通貨としてその価値を重要視していたヨーロッパ勢力が、日本で産出される莫大な銀を求めて日本に訪れるようになりました。また、当時鎖国状態だった中国も銀による決済が基本で、大変高い価値を持っていました。このように、日本から産出された銀により作られた銀貨は、全世界の銀貨の3分の1を占めていたという歴史があります。

銀貨の価値は重さで決められていた!?

江戸時代になると、日本で銀貨が流通します。金貨や銅銭が依然として優位を占めていましたが、海外貿易とも歴史的に深いつながりがあった大阪では、価値が高い銀貨が決済手段として流通していました。この際、算定されたものの価値を「匁」と呼ばれる銀の重さで表現して売買が行われていました。つまり、コインとしての銀貨ではなく、鉱物の銀として決済が行われていたのです。江戸時代の銀貨は比較的流通量が多く形としては小判のような定形でないものもあり、歴史的意義付けが高い一方で、後代に鋳潰されて別の用途で再利用されてしまうケースが大半でした。そのため、現在における江戸時代の銀貨の価値は、その希少性から高くみなされています。

明治期以降の銀貨の価値が高いワケ

明治時代初期における銀貨は、貿易用の通貨として利用されていました。これは日本の小判と海外の金貨の価値が違っていたためにとられていた措置です。これ以後、一時的に銀製の貨幣は歴史から姿を消しますが、明治晩年に断続的に復刻しようとする風潮が起こりました。しかし、一部のもの以外は鋳造されてもすぐに流通を止められたため、希少性から現在高価値で取引されています。「八咫烏銀貨」などは現在のオークションで100万円以上の価値がつけられるほどです。昭和32年にも百円銀貨が発行されますが、これ以降は記念硬貨で鋳造される程度で流通用の銀貨が鋳造されたことはありません。